おまわりさん

今日6月17日は、「おまわりさんの日」だって。
”おまわりさん”と聞いて連想するのは、やっぱ ”いぬ”。

あらためて歌詞を見直してみたら、今の時代のことを超簡潔に、ドンピシャ言い当ててるよ。

”まいごのまいごの こねこちゃん” に ”いぬの おまわりさん” が、色々たずねてみるけど…
「おうちをきいてもわからない」「なまえをきいてもわからない」
”ないてばかりいる こねこちゃん”

すると、守ったり、教えてあげたりする、社会の頼れる存在 ”いぬの おまわりさん” まで、こまってしまって
「わんわん わわん」(←泣いちゃった?!)
と途方にくれてしまう

そこで、周りにも助けを求めてみるけど…
「からすに きいても わからない」「すずめに きいても わからない」

って、それはもう絶望的な状況。
なにひとつ、解決もできていなければ、進展もしていない。

人間社会も今、

『こたえのない時代』
『不確実性の時代』

を迎え、先行き不透明どころか、一寸先さえ見えなくなった。
その「見えてない」の中心は ”だれか” と言えば、当然「大の大人」。
学校で ”優秀な犬” のごとく育った「大人」が、激動の社会にまったく歯が立たず、こどもを前に路頭に迷っている。

絶対的権威のような「おまわりさん」は、こどもにとっての「学校の先生」「家庭の親」と同等か、それ以上。
だけどさぁ。そのだれひとり、なーんにもわかってないんだよ。
じゃあ、どうする?って、GOするしかないでしょ。

こどもたちと一緒に考え、なにより ”先に行動する” ということ。
それが、「先人」てもんじゃないの?

こどもが迷ってることに困り果て、立ち尽くしている大人ども。
なんとまぁ、情けない。。。
だって、こどもは【動いた結果 → 迷った】のであって、確実に行動した結果。
対して大人どもは、権力と権威を振りかざしてソコに留まり居て、気づけば身動き取れなくなってる。

迷おうが、間違おうが、見習うべきは危なっかしくても自ら動き回れる”こねこ”。
人間のこどもも本来 ”こねこ” と同じで動き回るイキモノなのに、学校教育で ”優秀な犬” にさせられちゃうから。
どうにも、こまってしまって。

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